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他人の痛みが見えない人達

「ありのままの自分を見て欲しい」
心の中で叫ぶ人は多い。
中には「好き勝手にイメージしても構わない」とおっしゃる人もいるだろうけど、少なくとも私はそうではない。
可能であれば「ありのままの自分」を見て欲しいと思う。
けれど、それは決してたやすくないことは経験上わかっている。
例えば、目の前にいる誰かを「ありのままに」見ているだろうか。
あの人はいつもああいった服装を好んでいるから、きっとああいう人に違いない。
無意識のうちに決めつけがちだ。
だからこそ第一印象が大切となり、「見せたい自分」を演出する技術が必要となる。
「ありのままの自分」を受け容れてもらうこと自体が幻想であり、だったら潔く「見せたい自分」を演じ切るべきだろう。
尤も、そこまで割り切れるほど私は強くないけど。
それにしても「他人に見られる立場」の人は何かと大変だと思う。
なまじ顔が知られているだけに、常に他人の視線を意識せねばならぬ。
勿論彼らにもプライバシーは存在するが、多くの人が「自身のプライバシーは守りたいけど、他人のプライバシーは暴いてみたい」という欲求を持ち合わせている。
それだけでも嘆かわしい話であるが、彼らの多くは一方的なイメージを有名人に押し付け、少しでもそこからずれると「こんな人とは思わなかった」「がっかりした」と平気でのたまう。
同じことを自分がされたら烈火の如く怒る癖に。
要するに、相手の立場になって考えることの出来ない人が極端に増えているのだ。
だからこそ平気で権利を主張し、その癖義務を果たそうとしない。
他人様のことは決して言えない私であるが、少なくとも「自分が言われて嫌な言葉」は人目につかない場所に吐き捨てるようにしている。
本当はそれ自体好ましくなくて、寧ろ美しい言葉で「褒め殺し」すべきなのだが。