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誤字と誤変換

「誤字」と「誤変換」は似て非なるものだ。
前者の場合、やんわり指摘したところで相手に通じることはなく、寧ろストレートに「××は○○じゃないですか」と指摘した方が解ってもらえる可能性が高い。(残念ながら、ブチ切れる可能性もある)
一方の後者、あくまで「誤変換」故自分で気付くことも多いし、誰かに指摘されても「ごめんなさい」と笑い飛ばせる。
中には「笑える誤変換」もあって、お願いだからそのままにして…と心の中で祈ることも。
何れにせよ、迂闊に指摘しても不快になるだけなので、余程親しい相手でない限りは黙って見過ごすことにしている。
というのも、以前こんな経験をしているから。

当時その人は個人サイトとブログを立ち上げており、ブログの方には日々の思いを、個人サイトの方には手書きのカードをアップしていた。
そのカードには可愛らしいイラストと温かみのある文字が添えられ、見た人は皆ほっこりした気持ちになったものだ。
そんなある日、その人の子供さんの同級生が学校を去ることになった。
子供さんは私立中学に通っていたので、恐らく家庭の事情で転校せざるを得なかったのだろう。
その話に胸を痛めた彼女、一人の母親として複雑な気持ちになったことを文章にしたまでは良かったのだが、私が気になったのはちょっとした誤変換。
学校を変わるのだから「転校」が正しいのだが、その時彼女が打ち込んだのは「転向」の二文字。
明らかに誤変換であることはわかったものの、正直指摘するのは憚られた。
というのも、当該ブログは常連さんが多く、コメント欄も和やかな雰囲気が漂っていたから。
だからといって見過ごすわけにもいかない。
悩んだ挙句、ちょっとしたコメントの中に敢えて「転校」の二文字を入れることで誤変換に気付くように仕向けた。
ところが、コメントに対する返信はあったものの、当該記事は「転向」のまま。
それどころか、惜別の思いを込めたメッセージカードにも「転向」の二文字が。
そう、彼女は本気で「転向」だと思い込んでいたのである。

仮に私が「『転校』の間違いではないですか?」と指摘していたならば、彼女も素直に修正していただろうか。
逆切れすることなく、「ありがとう」と言ってくれただろうか。
否、決してそうじゃなかった気がする。
承認制であることをいいことに、コメントは公開されないだろう。
修正すらされない可能性もある。
事実、誰かに誤字(誤変換)を指摘されてブチ切れるブログ主は少なくないし、
開き直りとも取れる文章を載せていた人もいる。
であるなら、多少の誤変換は黙って見過ごすことが互いの為かな…と今は思う。
それで恥を掻くのも自己責任だし、気付いた時点で修正すればいいのだ。
少なくとも、私はそうしている。
我ながら情けないし、泣きたい気持ちに駆られるけどね。