読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

“本当の自分”って何ですか。

「おかえり」という曲を聴きながら、こんなことを考えました。
“本当の自分”って何ですか、と。
“仕事中の自分”は仮の姿ですか、と。
“本当の自分”をさらけ出せるのは限られた場所であり、それ以外の場では自分を殺さざるを得ないと多くの人は考えているでしょう。
ある人にとってはそれが家庭であり、またある人にとっては趣味の時間がそれに該当することでしょう。
でも、本当にそうなのかしら。
かくいう私もそう考えた時期がありました。
“自分らしい自分”を解放出来るのは一人の時間だけであり、それ以外の場では〝その場に応じた自分”を演じ分けているのだと。
けれど、ある日気づいてしまったのです。
一見“演じているだけの自分”は元々自分の中にあった資質に過ぎないと。
仕事と割り切って頭を下げている時も、その場の雰囲気を壊さないように“別人”を演じている時も、実は自身の中にある多面性が表面化しているだけ。
台本でもない限り“自分の中にはない自分”を演じることは出来ないのです。
たまたま仕事中はAという側面を見せる私ですが、一旦仕事を離れたらBという側面が表に出てくるでしょう。
某アイドルを見てキャーキャー喚いている時の私はCが前面に出ていますし、こうして文章を打ち込んでいる時にはBとCとDが交互に表れている気がします。
もしかすると無意識のうちにEやF、Gも現れているかもしれません。
そういう意味では多重人格(無論、本来の意味とはかなりずれています)ですし、むしろそれが普通なのでは?と思っています。
実は子供の頃、こういう自分が嫌いでして。
どうして自分はこうも“複数の顔”を使い分けるのかと悩んだこともあります。
直接の切っ掛けが何であるかは生憎わかりませんが、ある時期を境に“結局、どれも自分の一部である”と悟るようになり、以来気持ちが楽になりました。
多面性があって何が悪い?と今では堂々と主張出来ます。
そんな私だからでしょう、この「おかえり」という曲には思わず首を傾げてしまいました。
最初は「彼らもこういう楽曲が似合う年齢になったのかな?」と思いながら聴いていたのですが、段々「気持ちはわかるけど、それって違うんじゃないの?」と。
やはり天邪鬼ですかね。


※「おかえり」は「誰も知らない」初回限定盤のカップリング曲です。