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第一印象から読み取る「あなたの本質」

好んで取り入れる「色」を見ただけで、その人がどういった人であるかを探ることは出来る。

厳密には「その人の本質」というよりも「その人が今考えていること」が透けて見えるのだろう。

普段は身に着けない色(例えば、黒)を積極的に取り入れたい気分の日もあるだろうし、逆にある特定の色(例えば、白)しか受け入れない人もいるだろうから。

勿論、実際にはその人の言動や仕草、服装や小物といった複数の要素から「その人」を読み解いていくのだが、正直こうした行為を好ましく思わない人が少なからずいる訳で。

例えその推察が当たっていたとしても(いや、当たっていたからこそ)自身を値踏みされたような不快感を拭い去ることは出来ないし、それこそ表面上はにこやかに笑っていても腸が煮えくり返る思いをしていることは十分考えられる。

では、どうすれば良いのか。

流石に俳優業を生業にしていない限りは言動や仕草を変えてしまうのは難しい。

けれど、身に着けるものを意識的に変えることで少なくとも目の前の相手を錯乱させることは出来る。

白を身に着けたい気分であれば、それらは見えない部分(下着以外にもある筈だ)に取り入れ、表面上は淡いパステルカラーを取り入れてみたり、はたまたダークブラウンで渋さを強調するのも悪くない。

意識的に他の色を取り入れることで、もしかしたら気持ちに変化が現れるかもしれない。

仮に現れなかったとしても、今現在、自分が「白を欲している」ことは相手に悟られないだろうし、余程洞察力に優れた人でなければ到底その本質を見抜くことは出来ないだろう。

但し、こうした策略を取り入れるには多少なりとも色彩心理の知識は必要だろう。

快活そうな印象を与える色。

落ち着きを感じさせる色。

何処か近寄りがたい雰囲気を漂わせる配色。

これらの知識を応用することで、初めてあなたは他人を攪乱することが出来る。

いや、そこまで計算しなくとも(無意識のうちに)複数の色を取り入れている人も中にはいるだろうけど。

さて、自分の場合。

カラータイプ診断テストにおいては、大体において協調タイプの割合が高い。

逆に低いのは堅実タイプ。

残り二つはその時々の心情に左右され、比較的創造タイプの要素が強い日もあれば、ある特定の色がずば抜けて高いが為に決断タイプに傾くことも。

これらの経験から推測するところ、私自身のベースには協調タイプがあり、その時々の心情(含む環境の変化)によって決断タイプや創造タイプに傾くと考えられる。

一方で、必要性を感じながらも見事なまでに欠如しているのが堅実タイプの要素。

せめて「ある色」だけでも取り入れたいのだが、意識的に取り入れたくとも実は殆ど似合わない色。

パーソナルカラー診断でも「あまり得意ではない色」と診断されるほど不得手で、せいぜい日常的に使う文房具で取り入れるのが関の山。

最近はそれすら怠りがちで、専ら黄緑(ここ数年、大好きな色になりつつある)かオレンジ(これは意識的に取り入れている)に偏っている。

どうやら無意識には逆らえないらしく、余程強い意志で取り入れない限り「必要な色」を身に着けるのは困難なのだ。

と、ここで冒頭の話に戻る。

相手を攪乱させる意味で敢えて複数の色を取り入れたり、自分が欲する色以外を身に着けることを提案した訳だが、いざ実行に移すとなれば意外にしんどいことに気付く。

個人差はあるだろうが、身体が受け付けないのである。

例えば私が(この際実年齢は無視して)ある目的の為にゴスロリファッションに身を包むとする。

可能であれば、それこそお人形さんのようなメークもしよう。

若い時ですら着ることのなかった、可愛らしい洋服にも袖を通そう。

十中八九似合わないと確信しているものの、これもコスプレの一種と割り切って街に繰り出すとしよう。

もしかしたら「良く似合いますよ」と見え透いたお世辞を言う輩が現れるかもしれない。

「たまにはこういう服装も悪くないですよ」とアドバイスしてくれる人がいるかもしれない。

仮にそうだったとしても、恐らく私は二度とこのような服装は選ばないだろう。

理由は「自分が落ち着かない」から。

自分に欠けているものを補う為に取り入れたとはいえ、生理的に受け付けないものはどんなに努力しても気持ちが悪いのだ。

勿論、強い意志があれば決して不可能ではない。

あくまで自己演出の一環と割り切り、「私はこう見られたい」と言い聞かせた上でこれらの服装を取り入れるのだ。

最初はぎこちなくとも、やがて自分の身体に馴染み、自然に振る舞うことが可能となる。

要するに、それだけの覚悟がなければ「相手を攪乱させる」ことなど出来る筈がない。

というか、そこまでして見せたい自分がある訳でもない。

外面だけで何がわかる?と訝しむ気持ちは今でもあるが、それはそれ。

対外的に与える印象を把握すること自体は悪いことじゃないから、そうした指摘は有難く受け止めることにしている。